明治の進取な気分と清新な発想が創った「軽井沢彫」

軽井沢

軽井沢宿は日本橋から150キロの距離にある18番目の宿場町でした。碓氷峠を越えてきた多くの人がここで体を休めました。

 近世、中山道の宿場町として発展してきた軽井沢。その地が避暑地として転機を迎えたのは1886年(明治19年)、イギリス公使館付宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショー氏が避暑地として着目して別荘を建てたことに始まります。多くの外国人が次々に別荘を、それも当然ながら西洋建築を建てました。

 外国人が住まうようになって特に必要とされたものは、日々の食品、そして西洋建築に合った家具や工芸品でした。

 栃木県日光には古くから木工の特産品があり、日光彫と呼ばれる技法が存在していました。1908年(明治41年)、日光彫の職人であった清水兼吉と川崎巳次郎の二人が職人仲間を連れて、彫刻を施した西洋家具の製造を始めました。

 そして、外国人の生活様式を考え、好みを反映させて一つのスタイルを作り上げていきました。

 当初は多様であった絵柄も徐々に日本を代表する桜に集約されました。外国に帰るときに輸送しやすいように、家具は簡単に分解できるように工夫も凝らされました。

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明治の進取な気分と清新な発想が創った「軽井沢彫」

「橡(トチノキ)」

軽井沢彫の製造工程